江戸川乱歩といえば日本探偵小説の父で、この国のミステリ界に絶大な影響を及ぼした作家ですが、ミステリ(探偵小説、推理小説)だけでなく、ホラー(怪奇小説、幻想小説)の分野においても偉大な功績を残しています。
個人的には、乱歩作品においては推理やトリックよりもむしろ怪奇・幻想といった要素のほうが鮮烈な印象を残しているように思います。乱歩本人が本格推理を志向しながらも、怪奇・幻想小説や通俗スリラーのほうが大衆に支持されたのも、きっと理由のないことではないでしょう。
この記事ではそんな江戸川乱歩のおすすめホラー小説(いずれも短編)と、それらをまとめて読める文庫本を紹介いたします。紹介する短編の順番は五十音順になっています。
『赤い部屋』
「赤い部屋」は、1925年に発表された短編。退屈な日々に飽き、「異常な興奮」を求める7人の男が集まった秘密倶楽部の一室で、新入会員のT氏が、彼の犯罪歴を独白するという物語です。乱歩が高い関心を寄せていた「プロバビリティー(蓋然性)の犯罪」を扱った作品で、トリックのアイデアが短い紙幅に惜しみなく盛りこまれ、厭世的かつ退廃的なムードの横溢もすばらしい犯罪小説の傑作に仕上がっています。最後のどんでん返しは賛否が分かれそうですが、個人的には好きなオチです。
『芋虫』
「芋虫」は、1929年に発表された短編。戦争で声帯や聴覚、そして四肢を失った傷痍軍人の夫と、その夫を嗜虐する趣味を持つ妻の愛憎を描いた物語です。戦前は発禁になったというエピソードもありますが、乱歩の短編のなかで最大の問題作といっていいでしょう。いちばん好きな乱歩の小説は何かと問われれば、筆者は本作を挙げます。一読すれば決して忘れることのできない強烈な読後感を残す傑作です。
『押絵と旅する男』
「押絵と旅する男」は、1929年に発表された短編。魚津へ蜃気楼を見に行った帰り、列車のなかで精巧な押絵を持つ不思議な男と出会った語り手が、押絵にまつわる奇妙な物語を聞くというストーリーです。自作の評価に厳しいことで知られる乱歩ですが、本作については自身の短編のなかでもっとも気に入っているもののうちのひとつ、と語っています。その評価にふさわしい幻想小説の傑作です。
『踊る一寸法師』
「踊る一寸法師」は、1926年に発表された短編。見世物小屋の一座でいじめられている道化師役の〈一寸法師〉が引き起こす残酷な復讐劇を描いた物語です。〈一寸法師〉とは要するに小人症の男を指す言葉で、乱歩作品のなかでは同じようなキャラクターが繰り返し登場しています。白昼夢のような幻惑的な結末が印象に残る一編です。
『鏡地獄』
「鏡地獄」は、1926年に発表された短編。幼いころからレンズや鏡に異常な愛着を見せていた男が、その執着を次第にエスカレートさせ、ついには狂気にとり憑かれてしまうさまを描いた物語です。何かに異様な執着を見せる奇人・変人というのはしばしば乱歩作品に登場しますが、そのなかでも鏡に魅入られてしまった本作の男はとりわけ強い印象があります。最後に男が見た景色がどのようなものだったのか、想像力をかき立てられる名作です。
『人間椅子』
「人間椅子」は、1925年に発表された短編。大きな椅子のなかに空洞を作り、そのなかで革ごしに女性の感触を味わうことに夢中になる家具職人の物語です。乱歩らしい淫靡な雰囲気の横溢する作品で、乱歩のみならず日本のエログロナンセンス小説の代表格といっていい一編でしょう。オチは「赤い部屋」と似たような趣向ですが、「赤い部屋」とは違い、本作のオチは蛇足だったのではないかと個人的には思います。
『蟲』(『虫』)
「蟲」は、1929年に発表された短編。再会を果たした初恋の女性への妄執を募らせ、ついには凶行に走る男の孤独を描いた物語です。タイトルの漢字は「虫」とされる場合もありますが、この耽美でグロテスクなお話にはやはり「蟲」のほうがお似合いでしょう。筋立てはシンプルで、トリッキーな要素はあまりありませんが、死のにおいが濃厚に漂う忘れがたい一編です。
江戸川乱歩のホラー小説がまとめて読める文庫本
ここからは、上記のおすすめ作品を含め、江戸川乱歩のホラー小説がまとめて読める文庫本を紹介いたします。
『江戸川乱歩全短篇3』
『江戸川乱歩全短篇3』(ちくま文庫)は、乱歩の全短編を3巻にまとめたシリーズの3巻目。この巻は「怪奇幻想」をテーマにまとめたもので、これだけで乱歩の短編ホラーを網羅できる便利な一冊です。当然、上記で紹介したおすすめ作品もすべて収録されています。紙では残念ながら絶版なのですが、電子書籍でも読むことができます。
〈収録作品〉(全22編)
赤い部屋/人間椅子/芋虫/百面相役者/覆面の舞踏会/一人二役/お勢登場/木馬は廻る/毒草/白昼夢/火星の運河/空気男/悪霊/指/防空壕/押絵と旅する男/目羅博士/双生児/踊る一寸法師/人でなしの恋/鏡地獄/虫
『人間椅子 江戸川乱歩ベストセレクション1』
『人間椅子 江戸川乱歩ベストセレクション1』(角川ホラー文庫)は、乱歩のホラー系作品を多く収録した作品です。筆者のおすすめ作品のなかでは「押絵と旅する男」「鏡地獄」「人間椅子」が収録されています。
〈収録作品〉(全8編)
人間椅子/目羅博士の不思議な犯罪/断崖/妻に失恋した男/お勢登場/二癈人/鏡地獄/押絵と旅する男
『芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2』
『芋虫 江戸川乱歩ベストセレクション2』(角川ホラー文庫)は、先述の『~ベストセレクション1』に続く全8巻のシリーズの第2弾。こちらもホラー短編を集めた一冊で、筆者のおすすめ作品のなかでは「赤い部屋」「芋虫」「踊る一寸法師」が収録されています。ちなみに「蟲」は、このシリーズの第4巻『陰獣 江戸川乱歩ベストセレクション4』に、傑作中編「陰獣」とともに収録されています。
〈収録作品〉(全9編)
芋虫/指/火星の運河/白昼夢/踊る一寸法師/夢遊病者の死/双生児/赤い部屋/人でなしの恋
『江戸川乱歩傑作選』
『江戸川乱歩傑作選』(新潮文庫)は、おそらくもっとも広く読まれている乱歩の作品集でしょう。乱歩の代表作中の代表作をぎゅっと凝縮したまさに傑作選で、「芋虫」「鏡地獄」などホラーの代表的作品も収録されています。ミステリ好きもホラー好きも、乱歩に入門するなら最初に読んで絶対に損のない一冊です。
〈収録作品〉(全9編)
二銭銅貨/二癈人/D坂の殺人事件/心理試験/赤い部屋/屋根裏の散歩者/人間椅子/鏡地獄/芋虫
『江戸川乱歩名作選』
『江戸川乱歩名作選』(新潮文庫)は、先述の『江戸川乱歩傑作選』の出版から半世紀以上が過ぎた2016年に、新潮文庫の乱歩ベストの第2弾として編纂された作品集です。筆者のおすすめ作品のなかでは「押絵と旅する男」「踊る一寸法師」が収録。ほかにも「白昼夢」「人でなしの恋」「目羅博士」などホラー寄りの作品が多めに収録されています。『江戸川乱歩傑作選』の次にこちらを手にとるのもいいでしょう。
〈収録作品〉(全7編)
石榴/押絵と旅する男/目羅博士/人でなしの恋/白昼夢/踊る一寸法師/陰獣
まとめ
以上、江戸川乱歩のおすすめホラー小説と、それらをまとめて読める文庫本の紹介でした。発表当時から現在にいたるまで、大衆に強く支持されつづけてきた乱歩の怪奇と幻想の世界をぜひ味わっていただければと思います。