『十角館の殺人』登場人物のあだ名の由来となった海外作家たちを紹介!

ミステリ

ミステリ作家・綾辻行人のデビュー作『十角館の殺人』。本格ミステリの人気シリーズ、「館」シリーズの第1作目であり、1980年代末に勃興した「新本格ムーブメント」の嚆矢となった小説でもあります。2024年にはHuluで実写化ドラマ化され、改めて大きな話題を呼びました。

本書の大きな特徴のひとつに、主要登場人物である推理小説研究会のメンバーたちの名前が、あだ名で表記されている点があります。作中で言及されているとおり、彼らのあだ名の由来はすべて探偵小説の古典的名作を残した海外ミステリ作家の名前です。『十角館の殺人』は、ミステリ初心者の方が「まずはこの1冊」と手にとるケースも多いかと思いますが、そうした読者にとってはあだ名の由来となった作家たちはあまり馴染みがないかもしれません。

そこでこの記事では、『十角館の殺人』の登場人物たちのあだ名の由来となった海外ミステリ作家を紹介し、彼らの代表作やおすすめ作品についても書いていきます。『十角館の殺人』でミステリに入門された方が、ジャンルの名作に手を伸ばすきっかけになれば幸いです。

各見出しに登場人物のあだ名を表記し、⇒の先にあるのが由来となった海外作家の名前となっています。

推理小説研究会メンバー①「エラリイ」⇒エラリー・クイーン

第一章の冒頭で最初に台詞を発し、「ひょろりと背の高い、色白の好青年」と描写されているのが法学部3回生の「エラリイ」です。由来となった作家はエラリー・クイーンです。

エラリー・クイーンはアメリカのミステリ作家で、フレデリック・ダネイ(1905-1982)とマンフレッド・ベニントン・リー(1905-1971)という男性ふたりによるコンビ作家でした。「エラリー・クイーン」は彼らの共同ペンネームということになります。作家としてだけでなく編集者としても活動し、現在まで続くミステリ専門誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』を創刊するなど、ミステリ界に多くの功績を残しました。

クイーンのデビュー作は、1929年発表の『ローマ帽子の謎』。作家と同名の探偵エラリー・クイーンが活躍する「国名」シリーズの1作目です。デビュー作から追いかけたい方はまずこの1冊からどうぞ。翻訳はいろいろなバージョンが出ていますが、角川文庫版(タイトルは『ローマ帽子の秘密』)が読みやすくておすすめです。

刊行順はあまり気にせず、「国名」シリーズの最高傑作を読みたいという場合は、4作目の『ギリシア棺の謎』か、5作目の『エジプト十字架の謎』から読むのがよいでしょう(おすすめの角川文庫版のタイトルはいずれも『~の秘密』)。人気・評価ともにシリーズ中1、2を争うのが2作です。どちらも少し長めなのが入門書としてはネックですが……。

いきなり長編ではなく、まずは短編を読みたいという方には『エラリー・クイーンの冒険』がおすすめです。先述の名探偵エラリー・クイーンが活躍する作品集で、全11編が収録されています。こちらは創元推理文庫の新訳版がいいと思います。

また、クイーンには「国名」シリーズと並ぶ代表的なシリーズとして、「悲劇四部作」(「ドルリー・レーン」シリーズ)があります。これはもともとバーナビー・ロス名義で発表されたシリーズで、『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』『レーン最後の事件』の4作で構成されています。『Xの悲劇』『Yの悲劇』は日本の本格ミステリファンのあいだでとくに評価の高い作品なので、この2作からクイーンに入門する手もあるでしょう。

推理小説研究会メンバー②「カー」⇒ジョン・ディクスン・カー

第1章の冒頭、演説をするエラリイに突っかかる青年が法学部3回生の「カー」です。青髭の目立つしゃくれ気味の顎と、ひねくれた性格の持ち主です。由来となった作家はジョン・ディクスン・カー(1906-1977)です。

ジョン・ディクスン・カーはアメリカのミステリ作家で、「密室のカー」「不可能犯罪の巨匠」などと称される人物です。カーター・ディクスンという別名義でも作品を発表しています。

カーの生みだした名探偵は、ギデオン・フェル博士ヘンリー・メリヴェール卿の2人がとくに有名です。ギデオン・フェル博士ものでは『三つの棺』『曲がった蝶番』『緑のカプセルの謎』、ヘンリー・メリヴェール卿ものでは『白い僧院の殺人』『ユダの窓』がそれぞれ高評価ですが、1冊ずつ選ぶなら個人的には『三つの棺』と『ユダの窓』を推したいと思います。

ノン・シリーズの作品でおすすめなのは『火刑法廷』と『皇帝のかぎ煙草入れ』の2作です。前者はミステリとオカルトを融合させた傑作で、後者は心理トリックが見事な傑作。どちらもカーの代表的な長編です。

短編ではなんといっても「妖魔の森の家」という大傑作があります。『カー短編全集2 妖魔の森の家』に収録されているので、カーの短編が読みたいという方はまずこの1冊を手にとっていただきたいです。

推理小説研究会メンバー③「ルルウ」⇒ガストン・ルルー

文学部2回生で、「童顔に円眼鏡の男」と描写されているのが「ルルウ」です。後輩のため、エラリイたちには敬語を使っています。由来となった作家はガストン・ルルー(1868-1927)です。

ガストン・ルルーはフランスの作家で、もっとも著名な作品はやはり『オペラ座の怪人』でしょう。世界中で何度も映画化・ミュージカル化されてきたゴシック小説の名作です。狭義のミステリではありませんが、ルルーの入門書として有名どころを押さえておこうと思われる方は本作からどうぞ。

ルルーのミステリとしては、新聞記者のジョセフ・ルールタビーユが探偵を務めるシリーズがあります。こちらは1作目の『黄色い部屋の秘密』がとくに有名──というより、この1作だけが有名といってもいいかもしれません。ミステリ作家のルルーを知りたければ、とりあえず『黄色い部屋の秘密』を読んでおけばよいでしょう。創元推理文庫、ハヤカワ・ミステリ文庫の両方で新訳版が出ています。

推理小説研究会メンバー④「ポウ」⇒エドガー・アラン・ポー

「無精に伸ばした硬そうな髪、顔の下半分を覆った濃い髭」が特徴の大柄な男が、医学部4回生の「ポウ」です。由来となった作家はエドガー・アラン・ポー(1809-1849)です。

エドガー・アラン・ポーはアメリカの作家で、1841年に世界初の推理小説「モルグ街の殺人」を発表しました。同作で活躍する探偵オーギュスト・デュパンは、世界初の名探偵といわれています。デュパンが活躍する作品は「モルグ街の殺人」のほか、「マリー・ロジェの謎」「盗まれた手紙」の計3作で、中公文庫の『ポー名作集』では3つの短編がすべて収録されています。

ポーのミステリ系の小説を収録した作品集で、かつ翻訳が新しいものとしては、角川文庫『ポー傑作選2 怪奇ミステリー編 モルグ街の殺人』や新潮文庫『モルグ街の殺人・黄金虫 ポー短編集Ⅱ ミステリ編』があります。どちらもデュパンものは2編のみ収録(「マリー・ロジェの謎」が未収録)ですが、ミステリ作家としてのポーを知りたい方には最適な2冊だと思います。

推理小説研究会メンバー⑤「アガサ」⇒アガサ・クリスティ

作中に登場する推理小説研究会のメンバーのうち女性はふたりで、そのうちのひとりが薬学部3回生の「アガサ」です。長い髪をソフトソバージュにした「華やかな美貌」の持ち主と描写されています。由来となった作家はアガサ・クリスティ(1890-1976)です。

アガサ・クリスティはイギリスの作家で、1920年のデビュー以後、世界的なベストセラーを次々と送りだし、「ミステリの女王」と称されました。とくに2人の名探偵、エルキュール・ポアロミス・マープルが活躍する作品群が有名です。

クリスティ初心者の方には、まずはやはりポアロものがおすすめです。デビュー作『スタイルズ荘の怪事件』から読む手もありますが、基本的には最終作『カーテン』以外はどれから読んでも問題ありません。そのため、最初は有名な作品から読みはじめてもいいでしょう。『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』がおすすめです。

ノン・シリーズ作品で絶対に外せない有名作は『そして誰もいなくなった』です。これは『十角館の殺人』の元ネタでもあるので、『十角館の殺人』を読んでミステリに興味を持った方なら必ず押さえておきたい1作です。

推理小説研究会メンバー⑥「オルツィ」⇒バロネス・オルツィ

推理小説研究会、もうひとりの女性メンバーは文学部2回生の「オルツィ」です。小柄で、「小さくて丸い鼻。そばかすだらけの、子供みたいに赤い頬」の持ち主と描写されています。由来となった作家はバロネス・オルツィ(1865-1947)です。

バロネス・オルツィはイギリスの作家(生まれはハンガリー)で、「隅の老人」という名探偵を生みだしたことで知られています。「隅の老人」は、自ら現場には出向かず他人や新聞などで得た情報から真相を導きだす「安楽椅子探偵」の先駆者のひとりです。

日本では独自編纂の短編集しか出ていませんが、とりあえず1冊読むのであれば創元推理文庫『隅の老人の事件簿』がいいでしょう。シリーズの全作品を読みたい場合は、値が張りますが『隅の老人【完全版】』というファン必携の書があります。

また、ミステリではありませんが、オルツィの作品でもっとも有名なのは歴史小説『紅はこべ』です。宝塚歌劇団のファンの方には『スカーレット・ピンパーネル』といったほうが馴染みがあるかもしれません。むかしながらの翻訳で読みたい方は河出文庫版、新訳で読みたい方は創元推理文庫版でどうぞ。

推理小説研究会メンバー⑥「ヴァン」⇒S・S・ヴァン・ダイン

物語の舞台である「角島」に一足先に上陸し、船でやってきた他のメンバーたちを迎えるのが「ヴァン」です。理学部3回生で、痩せ気味の男と描写されています。由来となった作家はS・S・ヴァン・ダイン(1888-1939)です。

S・S・ヴァン・ダインはアメリカの作家で、名探偵ファイロ・ヴァンスを生みだしました。ファイロ・ヴァンスが活躍する長編は全部で12作ありますが、基本的に前半6作は評価が高く、後半6作は評価が低いです。ミステリ初心者が読むのであれば、まず前半6作のうちから選ぶのがよいでしょう。

1作目の『ベンスン殺人事件』から順に読んでいくのもいいですが、とくに評価の高い作品を読みたいという方には3作目『グリーン家殺人事件』、4作目『僧正殺人事件』の2冊がおすすめです。両作品とも創元推理文庫の新訳版で読むことができます。

おまけ:本土にいる関係者について

十角館の建つ角島に向かうメンバーは上記の6名ですが、本土側にいる関係者2名についても紹介しておきましょう。

ひとりは推理小説研究会の元メンバーである江南孝明です。「江南」は「かわみなみ」と読みますが、本作の主要キャラクターのひとりである島田潔からは「こなん」と呼ばれ、実際推理小説研究会に所属していたときのあだ名は「ドイル」でした。由来となった作家は、もちろんコナン・ドイル(1859-1930)です。

コナン・ドイルはイギリスの作家で、世界でもっとも有名な名探偵シャーロック・ホームズの生みの親です。ホームズものは長編4作、短編56作の全60作で、文庫では9冊分あります。まず1冊読むのであれば、ホームズ初登場作の長編『緋色の研究』か、もしくは最初の短編集『シャーロック・ホームズの冒険』がおすすめです。

翻訳はいろいろ種類があり、なかなか読み比べることは難しいですが、筆者は創元推理文庫版(深町真理子訳)で9冊すべて読み通しました。とても読みやすかったので、海外ミステリ初心者の方でも困るようなことはないと思います。

もうひとりの関係者は、推理小説研究会の現役メンバーで、江南の友人である守須恭一です。彼のあだ名は作中でなかなか言及されませんが、「もりす」という苗字からは連想されるのはモーリス・ルブラン(1864-1941)でしょう。

モーリス・ルブランはフランスの作家で、怪盗紳士アルセーヌ・ルパンの創作者です。日本人にとっては漫画『ルパン三世』の元ネタとしてもおなじみのキャラクターです。

ルパンもので最初に読むのにおすすめなのは、ルパン初登場の第1短編集『怪盗紳士ルパン』です。長編の代表作から読みたいという方は第1長編『奇岩城』がよいでしょう。長編では『813』も有名ですが、こちらは『続813』と合わせてようやく完結する作品なので注意が必要です。

翻訳はいろいろな種類があり悩ましいところですが、『怪盗紳士ルパン』と『奇岩城』にかぎっていえばハヤカワ・ミステリ文庫版が個人的におすすめです。ただ、ハヤカワ・ミステリ文庫版は作品数がかぎられているので、シリーズを同じ出版社で揃えていきたい方は偕成社(偕成社文庫)版を購入されるのがいいかもしれません。

まとめ

以上、『十角館の殺人』の登場人物のあだ名の由来となった海外作家の紹介でした。

本格ミステリというジャンルは、過去の作品を踏まえたうえで新たなアイデアやトリックを生みだすものなので、古典的な名作を知っておくと現代の作品を読む楽しさがさらに増します。この記事が、『十角館の殺人』を読まれた方がさらに本格ミステリの世界へ足を踏み入れていくきっかけになれば幸いです。