2013年5月、新潮文庫のフェア「ピース又吉がむさぼり読む新潮文庫20冊」が開催されました。お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹が、新潮文庫に収録されている作品のなかから20冊を選ぶというフェアで、全国の書店で展開されたものです。
彼が『火花』で小説家として本格的にデビューするのは2015年のことなので、小説家としてではなく、あくまで芸能界きっての読書家ということで起用されたということでしょう。
本記事ではそのフェアに選出された20冊を列挙し、選者である又吉に関係のあることで付記すべきことがある場合にはコメントをつけています。あらすじの引用元は、特記のないものはすべて新潮社HPです。
ちなみに『火花』刊行後の2015年5月には、本フェアをリニューアルした「ピース又吉が愛してやまない20冊!」が開催されています。そちらのラインナップについては下記の記事で紹介していますので、よろしければあわせてチェックしてみてください。
『文鳥・夢十夜』夏目漱石
人に勧められて飼い始めた可憐な文鳥が家人のちょっとした不注意からあっけなく死んでしまうまでを淡々とした筆致で描き、著者の孤独な心持をにじませた名作『文鳥』、意識の内部に深くわだかまる恐怖・不安・虚無などの感情を正面から凝視し、〈裏切られた期待〉〈人間的意志の無力感〉を無気味な雰囲気を漂わせつつ描き出した『夢十夜』ほか、『思い出す事など』『永日小品』等全7編。
「夏目漱石の作品のなかでは『それから』がいちばん好きかもしれない」というインタビューでの証言があるものの、本フェアでは短編集を推薦。ちなみに、『坊っちゃん』が2016年にフジテレビでドラマ化された際、又吉は夏目漱石役で出演しています(原作には当然夏目漱石本人が登場人物として出てくるわけではないので、ドラマのオリジナルキャラクター)。
『阿部一族・舞姫』森鴎外
許されぬ殉死に端を発する阿部一族の悲劇を通して、高揚した人間精神の軌跡をたどり、権威と秩序への反抗と自己救済を主題とする歴史小説の逸品『阿部一族』。ドイツ留学中に知り合った女性への恋情をふりきって官途を選んだ主人公を描いた自伝的色彩の強いロマン『舞姫』ほか『うたかたの記』『鶏』『かのように』『堺事件』『余興』『じいさんばあさん』『寒山拾得』を収録。
『一千一秒物語』稲垣足穂
少年愛、数学、天体、ヒコーキ、妖怪…近代日本文学の陰湿な体質を拒否し、星の硬質な煌きに似たニヒリスティックな幻想イメージによって、新しい文学空間を構築する“二十一世紀のダンディ”イナガキ・タルホのコスモロジー。表題作のほか『黄漠奇聞』『チョコレット』『天体嗜好症』『星を売る店』『弥勒』『彼等』『美のはかなさ』『A感覚とV感覚』の全9編を収録する。
(「BOOK」データベースより引用)
実際の映像は確認できていないのですが、2012年当時、『笑っていいとも!増刊号』で又吉が本の紹介をするコーナーがあり、そこで本作が取りあげられていたそうです。
『春琴抄』谷崎潤一郎
盲目の三味線師匠春琴に仕える佐助の愛と献身を描いて谷崎文学の頂点をなす作品。幼い頃から春琴に付添い、彼女にとってなくてはならぬ人間になっていた奉公人の佐助は、後年春琴がその美貌を何者かによって傷つけられるや、彼女の面影を脳裡に永遠に保有するため自ら盲目の世界に入る。単なる被虐趣味をつきぬけて、思考と官能が融合した美の陶酔の世界をくりひろげる。
「又吉が愛してやまない20冊!」のほうでは、本書と同じくマゾヒズムと耽美の世界を描いた谷崎の代表作『痴人の愛』が選出されています。
『きりぎりす』太宰治
「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。……」名声を得ることで破局を迎えた画家夫婦の内面を、妻の告白を通して印象深く描いた表題作など、著者の最も得意とする女性の告白体小説「燈籠」「千代女」。著者の文学観、時代への洞察がうかがわれる随想的作品「鴎」「善蔵を思う」「風の便り」。他に本格的ロマンの「水仙」「日の出前」など、中期の作品から秀作14編を収録。
又吉が太宰治の大ファンだというのは広く知られた事実でしょう。メディアでは作品の知名度ゆえか、『人間失格』についてよく語っているイメージがありますが、本フェアでは中期の作品を集めた短編集を推薦。なお、「又吉が愛してやまない20冊!」では『ヴィヨンの妻』『お伽草紙』の2作が選出されています。
『アメリカン・スクール』小島信夫
アメリカン・スクールの見学に訪れた日本人英語教師たちの不条理で滑稽な体験を通して、終戦後の日米関係を鋭利に諷刺する、芥川賞受賞の表題作のほか、若き兵士の揺れ動く心情を鮮烈に抉り取った文壇デビュー作「小銃」や、ユーモアと不安が共存する執拗なドタバタ劇「汽車の中」など全八編を収録。一見無造作な文体から底知れぬ闇を感じさせる、特異な魅力を放つ鬼才の初期作品集。
フェア開催時の帯文で、又吉は「懸命だからこそ哀しくて、本気だからこそ可笑しい。僕の好きな作品集です」とコメントしています。
『死者の奢り・飼育』大江健三郎
死体処理室の水槽に浮沈する死骸群に託した屈折ある抒情「死者の奢り」、療養所の厚い壁に閉じこめられた脊椎カリエスの少年たちの哀歌「他人の足」、黒人兵と寒村の子供たちとの無残な悲劇「飼育」、傍観者への嫌悪と侮蔑をこめた「人間の羊」など6編を収める。“閉ざされた壁のなかに生きている状態”を論理的な骨格と動的なうねりをもつ文体で描いた、芥川賞受賞当時の輝ける作品集。
又吉のエッセイ集『第2図書係補佐』では、大江健三郎作品のなかから『万延元年のフットボール』が取りあげられています。
『午後の曳航』三島由紀夫
十三歳の登は自室の抽斗(ひきだし)奥に小さな穴を発見した。穴から覗く隣室の母の姿は艶めかしい。晩夏には、母が航海士の竜二とまぐわう姿を目撃する。竜二の、死すら厭わぬ船乗り精神と屈強な肉体に憧れる登にとって、彼が海を捨て母を選び、登の父となる生ぬるい未来は屈辱だった。彼を英雄に戻すため、登は仲間と悪魔的計画を立てる。大人社会の綻びを突く衝撃の長編。
近代文学好きの又吉にとって三島由紀夫も重要な作家のひとりのようで、自身の読書遍歴を自伝的に綴った新書『夜を乗り越える』でも三島について言及しています。
『沈黙』遠藤周作
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。
又吉は遠藤周作について、「『沈黙』で持っていかれて、『深い河』は宗教に対する子どもの疑問に答えを与えてくれたと思いました」とインタビューで語っています。
『エロ事師たち』野坂昭如
お上の目をかいくぐり、世の男どもにあらゆる享楽の手管を提供する、これすなわち「エロ事師」の生業なり――享楽と猥雑の真っ只中で、したたかに棲息する主人公・スブやん。他人を勃たせるのはお手のものだが、彼を取り巻く男たちの性は、どこかいびつで滑稽で苛烈で、そして切ない……正常なる男女の美しきまぐわいやオーガズムなんぞどこ吹く風、ニッポン文学に永遠に屹立する傑作。
エッセイ集『第2図書係補佐』でも本作について取りあげています。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫
学生運動の煽りを受け、東大入試が中止になるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くん。そのうえ愛犬が死に、幼馴染の由美と絶交し、踏んだり蹴ったりの一日がスタートするが――。真の知性とは何か。戦後民主主義はどこまで到達できるのか。青年の眼で、現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し、今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作。「あわや半世紀のあとがき」収録。
フェア開催時の帯文で、又吉は「一見すると愉快で可笑しい青春小説。だが、それだけではない。深く深く刺さる。」とコメントしています。
『杳子・妻隠』古井由吉
“杳子は深い谷底に一人で坐っていた。”神経を病む女子大生〈杳子〉との、山中での異様な出会いに始まる、孤独で斬新な愛の世界……。現代の青春を浮彫りにする芥川賞受賞作「杳子」。都会に住まう若い夫婦の日常の周辺にひろがる深淵を巧緻な筆に描く「妻隠」。卓抜な感性と濃密な筆致で生の深い感覚に分け入り、現代文学の新地平を切り拓いた著者の代表作二編を収録する。
又吉はかねてから古井由吉ファンを公言しており、対談やトークショーなどでも交流を持っていました。2020年に古井由吉の訃報があった際にはコメントも寄せています。又吉がもっとも敬愛した作家のひとりでしょう。
『思い出トランプ』向田邦子
浮気の相手であった部下の結婚式に、妻と出席する男。おきゃんで、かわうそのような残忍さを持つ人妻。毒牙を心に抱くエリートサラリーマン。やむを得ない事故で、子どもの指を切ってしまった母親など――日常生活の中で、誰もがひとつやふたつは持っている弱さや、狡さ、後ろめたさを、人間の愛しさとして捉えた13編。直木賞受賞作「花の名前」「犬小屋」「かわうそ」を収録。
「又吉が愛してやまない20冊!」でも引き続き本書が選出されています。
『錦繍』宮本輝
「前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした」運命的な事件ゆえ愛しながらも離婚した二人が、紅葉に染まる蔵王で十年の歳月を隔て再会した。そして、女は男に宛てて一通の手紙を書き綴る――。往復書簡が、それぞれの孤独を生きてきた男女の過去を埋め織りなす、愛と再生のロマン。
エッセイ集『第2図書係補佐』では、宮本輝の『螢川・泥の河』が紹介されています。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹
高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。
エッセイ集『第2図書係補佐』でも本書が取りあげられており、「又吉が愛してやまない20冊!」では同じく村上春樹の作品から『ねじまき鳥クロニクル』が選ばれています。
『放課後の音符』山田詠美
大人でも子供でもない、どっちつかずのもどかしい時間。まだ、恋の匂いにも揺れる17歳の日々――。背伸びした恋。心の中で発酵してきた甘い感情。片思いのまま終ってしまった憧れ。好きな人のいない放課後なんてつまらない。授業が終った放課後、17歳の感性がさまざまな音符となり、私たちだけにパステル調の旋律を奏でてくれる……。女子高生の心象を繊細に綴る8編の恋愛小説。
又吉は山田詠美について、中学の国語の教科書に載っていた短編「ひよこの眼」が好きだったとも語っています。
『夫婦茶碗』町田康
金がない、仕事もない、うるおいすらない無為の日々を一発逆転する最後の秘策。それはメルヘン執筆。こんな〈わたし〉に人生の茶柱は立つのか?! あまりにも過激な堕落の美学に大反響を呼んだ「夫婦茶碗」。金とドラッグと女に翻弄される元パンクロッカー(愛猫家)の大逃避行「人間の屑」。すべてを失った時にこそ、新世界の福音が鳴り響く! 日本文藝最強の堕天使の傑作二編。
2011年に雑誌『POPEYE』で2人は対談しています。エッセイ集『第2図書係補佐』では『パンク侍、斬られて候』『告白』を取りあげ、後者については文庫の帯文で「心底笑って腹がよじれた。壮絶な叫びに魂をどつかれた。小説の極地やと思います」とコメントしています。
『トリツカレ男』いしいしんじ
ジュゼッペのあだ名は「トリツカレ男」。何かに夢中になると、寝ても覚めてもそればかり。オペラ、三段跳び、サングラス集め、潮干狩り、刺繍、ハツカネズミetc. そんな彼が、寒い国からやってきた風船売りに恋をした。無口な少女の名は「ペチカ」。悲しみに凍りついた彼女の心を、ジュゼッペは、もてる技のすべてを使ってあたためようとするのだが……。まぶしくピュアなラブストーリー。
『雪沼とその周辺』堀江敏幸
小さなレコード店や製函工場で、時代の波に取り残されてなお、使い慣れた旧式の道具たちと血を通わすようにして生きる雪沼の人々。廃業の日、無人のボウリング場にひょっこり現れたカップルに、最後のゲームをプレゼントしようと思い立つ店主を描く佳品「スタンス・ドット」をはじめ、山あいの寂びた町の日々の移ろいのなかに、それぞれの人生の甘苦を映しだす川端賞・谷崎賞受賞の傑作連作小説。
『遮光』中村文則
恋人の美紀の事故死を周囲に隠しながら、彼女は今でも生きていると、その幸福を語り続ける男。彼の手元には、黒いビニールに包まれた謎の瓶があった──。それは純愛か、狂気か。喪失感と行き場のない怒りに覆われた青春を、悲しみに抵抗する「虚言癖」の青年のうちに描き、圧倒的な衝撃と賞賛を集めた野間文芸新人賞受賞作。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家の初期決定的代表作。
中村文則は又吉ともっとも親交の深い作家のひとりといっていいでしょう。対談やトークイベントなど多数共演しています。エッセイ集『第2図書係補佐』の巻末にも2人の対談が掲載されています。
まとめ
以上、新潮文庫フェア「ピース又吉がむさぼり読む新潮文庫20冊」に選出された小説の一覧でした。気になる作品があった方はぜひ読んでみていただければと思います。