日本でもっとも有名な文学賞のひとつである直木三十五賞、通称・直木賞。新進・中堅作家によるエンタテインメント作品の長編小説もしくは短編集を対象とした賞で、年2回発表されています。
1935年に創設されて以来、約90年、170回を超える歴史を持つ同賞は、数々の話題作やベストセラーを生んできました。同時に発表される芥川賞は純文学作品を対象としているので、それと比較すると、エンタテインメント作品である直木賞受賞作のほうがとっつきやすく、読んでみようという気が起きやすいと感じている方も多いかもしれません。
今回はそんな直木賞の歴史のなかで、最年少・最年長の受賞記録を持つ作家、およびその受賞作について紹介したいと思います。
最年少受賞作|『何者』朝井リョウ
直木賞の最年少受賞記録を持つのは、第148回(2012年下半期)の受賞作である朝井リョウの『何者』です。受賞時の年齢は23歳7か月。
と書くと、「えっ?」と疑問に思われる方もいるかもしれません。Wikipediaによると、直木賞の最年少受賞者は第11回(1940年上半期)の堤千代(受賞時は22歳10か月)となっているからです。実際、朝井リョウの直木賞受賞を報じるニュースの際には、「史上最年少」ではなく、「戦後最年少」という表現が使われていました。しかし、じつは堤千代の生年には諸説あるのです。
従来は1917年生まれとされており、これが間違っていなければたしかに彼女が最年少受賞者なのですが、現在もっとも信憑性の高い文献によると、1911年生まれ(受賞時は28歳10か月)と考えるのが正しい、という説を唱える人もいます。本記事では後者の説を採用し、朝井リョウが直木賞の最年少受賞者であるとしたいと思います。
『何者』のあらすじ・感想
『何者』は、5人の大学生の「就職活動」と「SNS」を題材に、若者たちの不安や葛藤を描き、彼らの本音や自意識をリアルにあぶり出した青春小説です。
本作に登場する就活生は5人。演劇サークルで脚本を書いていた拓人、拓人が思いを寄せる瑞月、瑞月の元カレの光太郎、瑞月の友達の理香、その同棲相手の隆良。彼らは就職活動の情報交換のため理香の部屋に集まるようになり、交流を深めていきます。
物語は終始、主人公である拓人の一人称視点で語られます。彼はもちろん就活の当事者ですが、友人たちの就活に対する姿勢についてどこか観察者のような態度で分析し、ときに心のなかで辛辣な批評を加えていきます。そうした、ある種の類型的な就活生ひいては若者たちへの批判的な視点というのは、本書の大きな特徴だと思います。そしてそれが終盤の展開において、非常に重要な意味を持ってきます。
また、『何者』ではSNSもとても重要な要素となっています。作中では、登場人物たちのTwitter(現X)に投稿される文章がしばしば挿入され、そこには彼らの「他人からこう見られたい」という自意識が垣間見られます。こういう人いるな、と思わせる「SNSあるある」のような投稿に、読者は若者たちの痛々しさを感じることでしょう。
「就職活動」と「SNS」――「何者かになりたい」と願ったり、「自分は何者かになれるのか」と不安を抱いたりする現代の若者たちを描くうえで、これほど象徴的な題材はないと思います。この2つをキーワードに、若者たちの自意識を容赦なくえぐり出した『何者』は、痛ましくも切実な現代の青春小説の傑作なのです。
最年長受賞作|『小伝抄』星川清司
直木賞の最年長受賞記録を持つのは、第102回(1989年下半期)の受賞作である星川清司の『小伝抄』です。受賞時の年齢は68歳2か月。
最年少受賞記録ほどではありませんが、最年長受賞記録についても少しややこしい事情があります。じつは星川清司は2008年に亡くなるまで、生年を1926年と公表していたのです。これが正しい場合、受賞時は63歳ということになり、最年長受賞者ではなくなります。
しかし死去のニュースの際に、実際には1926年ではなく、1921年生まれだったことが公表され、これによって直木賞の最年長受賞者であったことが判明しました。
なぜ生年を偽っていたかというと、「寅年生まれは運が強いから」というのが理由だったようです。おかしな理由のようにも思えますが、星川は若い頃から病弱だったそうで、一種の願掛けだったのかもしれません。
『小伝抄』のあらすじ・感想
『小伝抄』には表題作と「憂世まんだら」の中編小説2作が収録されています。
表題作「小伝抄」の舞台は、江戸時代後期(文政のころで19世紀前半)。実在した浄瑠璃語りであり、数々の醜聞を振りまいて男狂いといわれた竹本小伝と、彼女に想いを寄せる醜男の船頭・権八の哀切な運命を描いた時代小説です。
小伝の父である万五郎は船宿・扇屋の主人。船宿以外にも女郎屋を手がけ、どちらも商売は大繁盛で、小伝は裕福な子ども時代を過ごします。一方の権八は扇屋で働く船頭で、幼い小伝の子守を任され、彼女の成長していく姿をいちばん身近で見守る立場になります。わかりやすくいうと彼らは、お金持ちの子どもとその召使いという身分違いの男女なのです。
器量よく成長した小伝は、歌舞伎役者の尾上菊五郎と恋仲になるものの、のちに捨てられてしまい、それからヤケクソのように数々の男と関係を持ち、浮名を流すようになります。一方、醜男の権八はそんな彼女に想いを寄せながらも、ただ見守ることしかできません。そうして、両極端ながらある意味では同じように不器用なふたりの色恋沙汰は、やがて意外な結末へ向かって転がっていくのです。
「小伝抄」の主人公はもちろん小伝と権八のふたりですが、構成にひとひねりがあり、物語はとある狂言作家の一人称から始まります。その狂言作家のもとを顔見知りの権八が訪ねてきて、「自分の語る小伝の一代記を書きとめてほしい」と依頼し、それを受けて狂言作家が小伝と権八、双方の独白として文章を記していくという構成になっているのです。
この構成の妙と、江戸のはやり言葉や語呂合わせなど多彩な語りを駆使している点が本作の最大の魅力といえるでしょう。まるで熟練の講談師の語りを聞いているような小気味よさがあり、江戸情緒を存分に味わうことができます。この文体への評価が直木賞受賞の大きな理由になったことは間違いありません。
併録の「憂世まんだら」も江戸を舞台にした世話物で、「小伝抄」とはまた違った形で男女の心の機微が描かれた佳品です。最年長受賞というわりに、直木賞受賞作のなかでもあまり知名度の高くなさそうですが、時代小説が好きな人であれば一度読んで損はない2編だと思います。
まとめ
以上、直木賞最年少・最年長受賞者とその受賞作の紹介でした。どちらの作品も単にそれぞれの記録を保持しているというだけでなく、小説として優れた作品だと思いますので、気になった方はぜひ手にとってみてください。
また、直木賞そのものについて深く知りたいという方は、下記の作品などを読んでみてもいいかもしれません。
人気サイト「直木賞のすべて」を運営する著者が綴る直木賞史。
上記の『直木賞物語』と同じ著者による直木賞にまつわるエッセイ本。
文藝春秋社の編集者として芥川賞・直木賞に長年関わった著者が、受賞作家たちの素顔を語る本。